高野佐三郎【昭和の剣聖】

シン・ニホンジン

『剣道』の生みの親

剣の歴史シリーズもいよいよ最終回です。

これまで塚原卜伝に始まり、柳生石舟斎、伊藤一刀斎、男谷精一郎を取り上げましたが、最終回は昭和の剣聖【高野佐三郎】範士です。

僕たちがやっている剣道って、いつから剣道と呼ばれるようになったのでしょうか。

高野先生を知る事で、現代の剣道をより深く理解できます。

高野佐三郎先生(以下敬省略)は、1862年、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)に生まれます。

幼い頃から剣術指南役の祖父に鍛えられ、わずか5歳で中西派一刀流の組太刀56本を藩主松平忠誠の御前で披露して激賞されています。まさに剣術エリートですね。

敗北と成長

しかし、1879年の明治12年、(佐三郎17歳ころ)埼玉県で開かれた剣術大会で、岡田定五郎(30歳)に、敗北します。

岡田に敗北した佐三郎は、東京に修行に出ます。

その際、母は佐三郎を呼び戻そうとしますが、祖父の佐吉郎は「剣道家になる者にその位の意気込みがなくてどうする」と放っておいたそうです。

東京では、あの有名な山岡鉄舟の春風館で修行に励みます。

春風館は一人が1週間で1400回の試合をする等、過酷な稽古で有名な道場でした。

復讐に燃える佐三郎は、春風館で厳しい稽古に耐え、腕を磨きます。

2ヶ月程たったある日、ただならぬ覚悟で稽古する佐三郎に鉄舟は声をかけます。

事情を知った鉄舟は、佐三郎に対して、「もはや岡田とやらは君の敵ではないから、さっさと復讐して来い」と言い放ちます。

たった2ヶ月の稽古でそこまで成長するものかと半信半疑の佐三郎でしたが、再度岡田に試合を申し込みます。佐三郎は負ければ死ぬ覚悟だったと言います。

しかし、何度試合を申し込んでも、岡田は謝るだけで試合をしてくれません。

諦めた佐三郎は東京に戻り鉄舟に報告します。

すると鉄舟は「それは当然だ。やれば岡田の命はなかっただろう」と語ったそうです。

剣術から『剣道』へ

1886年(明治19年)、鉄舟の推薦で警視庁に入り、警官達に剣術を指南する役につきます。

その2年後、故郷の埼玉県知事から埼玉県警察本部に欲しいと請われ、埼玉に転任しています。

さらに1890年(明治23年)、浦和に祖父が亡くなり閉鎖していた道場「明信館」を再興します。

1899年(明治32年)には一家で東京に移住、3年後の5月には大日本武徳祭大演武会で優勝、同年10月には東京に明信館本部道場を設立します。

この時道場の支部は39支部、館員数は4000人と言われています。

また、佐三郎の半生が小説『秩父水滸伝』となり、その後映画化した事でさらに入門者は増加、館員数は6000人余り、警察官や学生を加えると1万人を超えていました。

1908年(明治41年)、撃剣・柔術が中等学校の正式課目となる事が決まると、佐三郎は教員養成学校である東京高等師範学校の撃剣科講師に就任します。(呼んだのは校長の嘉納治五郎

佐三郎は、『大日本帝国剣道形』の完成にも中心的人物として参加しています。

流派を超えて形を統一することは難航を極めたそうです。

当時、佐三郎は懐に短刀を忍ばせており、自分の意見が容れられない時は差し違えて死ぬ覚悟で臨んでいます。約1年をかけて太刀の形7本、小太刀の形3本という形が構成されました。

そして1916年(大正5年)佐三郎は、『剣道』を著します。

(1926年、大正15年、文部省が学校体育における名称を正式に「剣道」とした)

佐三郎は、これからの剣道は教育的価値を持つべきだという考えを持っていました。

そんな佐三郎は戦後の1950年(昭和25年)に死去します。享年89歳でした。

一刀から『一本』へ

大雑把ではありますが、剣の歴史を俯瞰して見ると今の剣道の成り立ちが何となく分かってきたと思います。

最後に「一刀」について書こうと思います。

新陰流の「十文字勝ち」や一刀流の「切り落とし」などが極意の一刀とされています。剣道形も打太刀が様々な変化を持たせて攻めて来るのに対して、仕太刀はとてもシンプルな「一刀」で勝ちます。

「一刀」とは何なのでしょうか。佐三郎の言葉からその意図が感じ取れます。

「剣の道は深い、精神を統一せぬ限り勝負は負ける。中段に構えたら、じっと相手の身体全体を見つめて、間合いを測る。心を集中させていくと相手の心の中が読める。跳びこむ時は、自分が切られることを恐れてはいけない。たとえ皮を切らせても、相手の肉を切ればこちらが勝ちだ。その一瞬の皮膜の間に勝負を賭けよ。」

生死を賭けた場を想定しているからこその厳粛な「礼」であったり、人間としての「精神性」が求められるのが剣道だったのですね。

卑怯な技でも今の試合では勝ちは勝ちかもしれません。しかし極めてシンプルな「一刀」に全てを賭けるところに極意があり、剣道の本質があったのですね。

そしてその「一刀」の思想の延長線上に現在の「一本」があると考えると、身が引き締まる思いです。

まだまだ本当の「一本」には程遠いなと感じながらも、剣道の奥の深さがなんだか嬉しくなってきました。

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