男谷精一郎とは?
歴史好きな人にはたまらない幕末。坂本龍馬、勝海舟、桂小五郎・・・。挙げればきりがありません。
有名な志士達も若い時は皆んな剣術を学んでいます。
個人的に剣士としてとても尊敬している男谷精一郎をご紹介します。
この人は、旗本の中でも下に見られていた階級から、武術訓練専門施設「講武所」の奉行に就任、最終的に下総守三千石まで異例の出世をした人です。ただの剣客でない事は確かです。
剣の歴史で見ると、江戸時代末期において剣の腕前、人格、頭脳、そして現代剣道界に与えた影響、男谷精一郎の剣士としての底が知れません。
男谷精一郎(信友)は、1798年に生まれます。
(ちなみに坂本龍馬は1836年、西郷隆盛は1828年生まれですので、志士が活躍する世代より上の世代になります。)
男谷は槍術や弓術、兵学を修得していきますが、剣術は直心影流に入門しています。
他の流派は形による稽古が中心だったのですが、直心影流は、江戸時代初期から防具・竹刀による打ち込み稽古に取り組んでいる流派です。
その後1824年、精一郎26歳ころに江戸・麻布狸穴に道場を構えます。
男谷精一郎の功績
当時の剣術道場では、主に形稽古を行なって、他流試合を禁じていましたが、幕府の武芸奨励策により徐々に他流試合が行われるようになり、男谷もこれを積極的に実践して広めています。
男谷の道場では竹刀試合を推奨しており、男谷自身も申し込まれた試合は一度も拒まなかったといいます。
男谷は、剣の腕前も凄いのですが、頭脳や志も素晴らしく軍事力強化のため武術訓練機関の設立を幕府に提案しています。
意見が受け入れられ、ついに1857年、築地に武術訓練専門施設「講武所」が竣工します。
講武所では、剣術・槍術・柔術・弓術・砲術の5部門があり、男谷は当初頭取並兼剣術師範に就任しています。
ここではいいよいよ防具と竹刀による直接打突訓練に移行して、それまで決まった規格のなかった竹刀の長さを「三尺八寸」と定めました。
ついに現代剣道の原型が見えてきました。
島田虎之介
個人的に好きな男谷のエピソードをご紹介します。
ある時、男谷の道場に中津藩士の島田虎之助が訪れ、男谷との立ち合いを申し込みます。
虎之助は、九州では敵なしの剣士で自らの腕を試すため江戸までやってきた男です。
男谷はいつも通りこの申し出を受けます。
結果的には、男谷が2本取って勝つのですが、島田も1本男谷から奪取しており、「なんだこんなものか」と男谷の道場を立ち去って他の道場に行きます。
虎之助は、次に井上伝兵衛という剣豪の道場を訪れます。
そこで伝兵衛に負けた虎之助は「あなたこそ日本一の剣豪だ」と弟子入りを志願します。
しかし伝兵衛は「江戸では他にも優れた剣士がいる。その中でも随一の者は男谷精一郎だ。」と言います。
虎之助はそんなはずはないと反論し、先ほどの男谷との立ち合いを説明します。
伝兵衛は、男谷に本気で立ち合うよう添状を書き、虎之助に渡します。
男谷は3本勝負の内、相手の面子を潰さないために、必ず1本取られて相手に花を持たせていたのです。それも相手に悟られない絶妙な力加減で。
どんな強い相手に対しても勝負を受けて、これを実行していたのですから、底が知れません。
再び男谷の道場を訪れた虎之助。男谷は伝兵衛からの添え状を一読すると再度虎之助と立ち合います。
今度は先程の立ち合いとは別人のような男谷。凄まじい威圧感で虎之助を攻めます。
何も出来ない虎之助は気づいたころには道場の隅に追いやられてしまいます。
目の覚めた虎之助は、男谷に弟子入りを志願します。
やがて虎之助は男谷の高弟として有名な剣豪になります。
島田虎之助は、あの勝海舟の剣の師になる人物でもあり、剣道家なら誰もが聞いたことのある
剣は心なり
心正しからざれば
剣又正しからず
剣を学ばんと欲すれば
先ず心より学ぶべし
を言ったのもこの島田虎之助です。
男谷は指導者としても超一流でした。
君子の剣
剣の道を生きた男谷は、1864年に66歳で亡くなっています。
後に剣聖とまで言われる男谷。異常な程剣の腕前が立つのですが、傲慢な態度を取らず、とても温厚な人格者だったそうです。しかし、自らには大変厳しく、常に文武両道を行き誰からも尊敬される人格の持ち主だったようです。
人に接する時は親切丁寧で、本人は酒が好きなのですが、深酒しても翌朝はいつも通りに起床して、毎日掃除をしていたそうです。
諸葛孔明や楠木正成を尊敬しており、妻を失った後も楠木にならい、他の女性を娶ることはなかったそうです。
大変な読書家でもあった男谷、遠い親戚にあたる勝海舟に「剣術ではなく蘭学、航海術を学びなさい」と勧めていることから、先見の明もあり、ただ剣の腕が立つお堅い人物ではありません。
剣の腕前が素晴らしく、頭脳明晰、国を思う志、そして人格者だった男谷は「君子の剣」と称されています。
また平成15年(2003年)に全日本剣道連盟の剣道殿堂入りしています。
コメント