剣道で人間性を高める。人間性を高めて自由になる。

経験者

人間形成の疑問

今回の話は超本質的な話なので、読んでも明日から剣道が強くなるわけではありません。

でも個人的には早い面が打てるようになる技術よりも、もっと重要な話だとは思いますが。

もし興味がある方は読んでみて下さい。

剣道をしている人なら一度は聞いたことのある

「剣道は剣の理法の修練による 人間形成の道である」

という剣道の理念。

単なる技術を競う種目ではなく、鍛えた結果、人間性を高めていくという目標が、個人的にとても気に入っています。

ちなみに、人間性を高めて人類の平和繁栄に貢献することが剣道の本当の目標です。

しかし、ずっと疑問に思っていた事があるのです。

人間形成、つまり人間性を高めるとどうなるの?

剣道を通じて人間性を高める事で、社会に貢献する人間になる事は何となくイメージできます。

でも、自分の内面、いつも何か不安を感じたり、不自由に感じたり、虚しさを感じる自分の心はどういう状態なんだろう。人間性を高めた先はどういう状態なんだろう。そんな疑問です。

色々な本を読む中で、最近この疑問に対して明確な答えを得る事ができました。

結論から説明すると「自由になる」という事です。

ちょっとこれだけだと何のこっちゃ、となりますので順を追って説明します。

ホントの自由って何

みなさんは、自由と聞いてどんなイメージを持ちますか。

例えばあなたが「あいつムカつくから殴りたい」と思ったとして、「おれは何にも縛られない」と豪語して相手を欲望のまま殴ったとします。これは法律を無視した自由な行動ですが、その後あなたは当然法律によって処罰される可能性が高いですよね。これは本当に自由と言えるのでしょうか。

我々は社会的な生き物なので、社会のルールを無視すると逆に不自由(やり返されたり、処罰されたり)になります。

また、話は変わりますが、こんな事思った経験はありませんか。

「私は社会貢献のためにやっている。」

的な発言を聞いて「この人言っていることは正論だけど、何だか偽善的で違和感を感じるな。」「本当は成功して社会的に承認されたいだけだろ。」って。

偽善者の発言に違和感を感じるのは、やろうとしている事は正しいが、本心では無いと直感で感じて、そのギャップに違和感を感じるてしまうからです。

例えば、目の前にガンディーや西郷隆盛がいたとして、彼らの行いを見て、「偽善者」と思う人は少ないと思います。

それは「思っている本心とやっている言動が限りなくイコールだから」です。

この状態がホントの自由なのです。

現代人の僕たちが漠然と自由を求めているのは、このやっている事と思っていることのギャップに苦しんでいるためだったのです。

孔子の言葉

この『ホントの自由』を知って、昔聞いた事のある孔子の言葉の意味が分かった気がしました。

 「吾十有五にして学に志す。

  三十にして立つ。

  四十にして惑わず。

  五十にして天命を知る。

  六十にして耳順(したが)う。

  七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。

最後の70歳のところが、自分のしたいと心から思った事をそのままやっても、人の道を踏み外すことがなくなったという意味です。

僕たちが本心でやりたい事をやってしまうと、全てではありませんが、人の道を踏み外したり、法に触れて処罰される事もあるでしょう。なので僕たちは理性で行動や発言をコントロールします。

しかし、本心と実際の行動にギャップが生まれます。これが不自由の原因です。

この差を埋めるには本心のレベルを上げるしかありません。つまり心の底から良い行いがしたいと思えるまで、人間性を高めるのです。

孔子は晩年、この境地に達してホントの自由を手に入れたのでしょう。

だから僕は剣道を続けようと思った

剣道の理念でいう人間形成も、この境地だと思うのです。

始めは偽善でもいいのです。

ただ単に強くなりたいでもいいのです。

それはホントの自由への途中段階なのですから。

そう思うと、形だけの礼儀にも意味があるのです。

ホントの自由に至る過程なのですから。

だから僕は剣道を死ぬまで続けようと思いました。10年、いや死ぬまでに至れるかわからない道ですが。

自由になるために稽古を続ける。

こんな競技そうそうありませんよね。

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