次の扉が開いた瞬間

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会心の一本

最近の稽古で、納得のいく会心の一本が打てた気がするので、忘れない内に書き留めようとする記事になります。

僕がこれまでイメージしていた理想の一本は、

「自分が攻めて、相手が動かされ、その隙を打突する」

「無駄を排除した合理的な動作で、力強い打突」

等でした。

日々の稽古も、「右手に力が入り過ぎている」とか「今の打ちは腰が入っていなかった」みたいに意識がいつも自分に向いていました。

意識はお相手に、我を捨ててみた

その日の稽古も、地稽古を色々な方としていたのですが、手に力が入り過ぎて、打ちも軽く、調子が上がらない感じでした。

そんな中、同じ六段でとても力強い打ちをする方との稽古になりました。

僕は、手が長い方で間合いは遠間がやり易いのですが、その方は僕より身長も低く、近間が得意な方なので、正直やりづらいなという印象の方でした。

礼をして蹲踞して、構えた瞬間、「相手の間合い(近間)で戦ってみよう」となぜか自分ばかりに向いていた意識を手放して、意識を100%相手に向けてみようと閃いたのです。

「綺麗なフォームで打とう」とか「自分から攻めて、相手を動かす」みたいな意識を捨てた分、余裕をもって相手を見れました。

「この間合いだと、まだ打ってこないだろうな」といつもよりクリアにお相手が見えました。

そんな中、相手が攻めてくる瞬間が不思議と感じられたので、僕も見せかけの攻め(竹刀の剣先だけや、右足だけの攻め)ではなく、腰から攻めるような本気の攻めで対抗しました。

(この時の攻めは、後で思い返してみればという感じで、その瞬間はまったく自分に意識は向いていませんでした。)

いつもだったら打とうとも思わない近間でしたが、自然と体が反応した瞬間、お相手の面より早く僕の面が打突されていました。

無意識に出た一本でした。

壁は乗り越えるものだと思っていた

いつも自分に向いていた意識を捨てる事はとても勇気がいる事でしたし、稽古だから出来た事かもしれません。

しかし、これまで通りの考え方でいくら稽古を続けていても、いつまで経っても上手くいかなかったはずです。

だって剣道は一人で舞うものではなく、常にお相手がいて成立するものだからです。

背の高い人、背の低い人。動きが速い人、動きが遅い人。間合いが遠い人、間合いが近い人。積極的に打ち込んでくる人、返し技を狙う人。

様々な人に対して、一種類の剣道で立ち向かうのは、自分と噛み合わない事の方が多いし、相手の事を無視した行為だなと気付かされました。

(相手の様子ばかり伺って、消極的な剣道にならないように注意は必要ですが)

相手に敬意を払う事など礼儀を大切にしている剣道。それは単に綺麗事を言っているのではなくて、剣道を高めていく中で必要な要素だったのです。

お相手を認める、お相手の事を本気で感じる、そんな意識がないとたどり着けない領域があるのだとこの歳になるまで気づきませんでした。

いや頭では確かに知っていた知識でしたが、腑に落ちた感じです。

これまで壁を乗り越える方法は壁を力づくで登って越えるイメージでしたが、今回は「あれ?こんな所に扉あるじゃん。開けてみよ。」という感覚に近い気がします。

大事な事は、壁の登り方よりも壁の向こう側の世界に入る事です。

自分を捨てて、お相手に意識を向ける事は、まだまだこれから修行していく領域となりますが、本当に剣道は奥が深く、常に新しい事に挑戦できる素晴らし競技です。

世阿弥のいう「初心忘れるべからず」とは、「剣道を始めた時の気持ちを忘れるな」という意味合いだけではなく、「常に新しい事に出会った時の新鮮さを持っている状態の方が、気持ちが慣れている状態よりも成長できる」と世阿弥本人が思っていたような気がします。

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